2012年11月14日水曜日

●過去ログより(文責:どんぐり倶楽部)

●下から読んで下さいね。<ほんの一部の抜粋>
 ベタコピーで読みにくいです。
「読解力」についての記述です。
 興味のある方のみどうぞ。
~「どんぐり倶楽部」BBS過去ログ~1401-1500
【総索引】【ログ索引】
------------------------------------------------------------------------
[1500] すんな 投稿日:2005/08/18(Thu) 22:44  [四国]そうなんです。下の子は、上の子を見て育つんですよね。ぶちさん、先生、ありがとうございます。こんなこと書くのは、私だけかな~なんて思いながら、書いてたんですが、なんだか勇気と元気が出てきました。うちの子には、どんぐりは、無理なのかな~と思っていたところもあったので、明日から早速、がんばってみます。子供2人といっしょに、絵を書いて見ます。
------------------------------------------------------------------------
[1499] ぶち 投稿日:2005/08/18(Thu) 16:29  [関東]先生、上の子を見て育つ下の子って得ですよね。上の子って、下の子に教え込もうとは全然していませんから、いいのかな。だから、損な一番上の子には、親が上の子みたいにお手本を見せてあげればいいのかなと、考えてやってきたんですが、どうですか?そういう考えで接するようになってから、子供が泣いたりボイコットしたりしなりました。1、2、3年のときは、すんなさんそっくりに、途方にくれていました。年頃もあるんだと思います。まだ勉強することを受け入れられない子もいるし、、、。そこで、私が下の子が自分のまねをしても怒らないお姉さん役になればいいんだと思ってから、子供は泣かなくなり、真似したりしなかったりしながら、どんぐりもうまくいくようになって、子供は勝手に一人で飛べるようになりました。お手本は、そういうふうでいいでしょうか?言葉では教えないと言っても、実際にはカンニングしてるなーと思っても見ないふりで許しているケースもあるやり方です。一人で考え切るというのは、できるときもあるけれど、できないときは誤魔化して「お姉ちゃんの真似」をしている状態を作っていました。このごろはどんぐりに関してはもう全然「お姉ちゃんの出番」がありませんが、、、
●もちろん「お手本」は子供のためにあります。教育者は意図的に「お手本」であっていいのです。保護者はもっと意図的でいいんです。
●カンニングというと聞こえは悪いですが「マスターする」ことは常に「先人・師匠・先輩の技を盗むこと」です。良き師匠は意図的に盗めるように適時、見せてくれるんです。「真似る→真似ぶ→学ぶ」つまり、学習の原点はカンニングなのです。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
------------------------------------------------------------------------
[1498] すんな 投稿日:2005/08/18(Thu) 13:20  [関東]お返事ありがとうございます。私が隣で絵を書くんですか?子供にそれを、見せるのですか?過去ログを読み直します。
●お母さんが「楽しんでする」ことが「お手本」です。教育とは「お手本」を見せ続けることです。「お手本」通りにさせようとすることは調教と言います。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
------------------------------------------------------------------------
[1497] すんな 投稿日:2005/08/18(Thu) 10:32  [四国]いつも、みなさんの書き込みを見ています。小2のわが子は、なかなかどんぐりに、なじめず、毎日毎日泣いています。絵が違っているとか、文章が読めてないよと指摘すると、すねくれて、そのうち泣き出し、私にやつあたりで、たたいたり、物を投げたりです。年長の16番の問題もはじめ、はこを5こかいて、なかにふうせんを2個ずつ書いて、こたえは、4個でした。それで、箱5こで2個しかもらえないことと、書いた絵は、1個の箱に2個ずつ入っている絵だと説明し、なんとか、箱」5こで、ふうせん2個の絵ができ、あと、4こふうせんがほしいところまでは、わかったのですが、それからは、どう絵をかいたらいいのか、思いつかず、またまたすねくれて終了です。次の日またやろうと言っても、他の問題をしたがります。毎日こんな感じです。楽しくやってもらいたいのに、なかなかうまくいきません。どうすれば、いいでしょうか?
●過去ログを読んで下さいね。考えられなく育てたのはお母さんですからね。7年間の教育の結果です。

http://reonreon.com/bbs-log-all.html

>>絵が違っているとか、文章が読めてないよと指摘すると、
●この時点で接し方が間違っています。
●百問間違って一問正確な絵が描けるんです。この一問のために百問は描けなくていいんです。ただし、お母さんは隣で百問自分の絵を丁寧に描くんです。子供には「指摘」しないんです。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
------------------------------------------------------------------------
[1496] あっちゃん 投稿日:2005/08/18(Thu) 10:09  [関東]先生、何度もありがとうございました。まだ、幼稚園ですので、学力養成、といっても真似事から始めればよいのだろう、と、思っていましたが、これは本気で腰をすえてやらなければならないようですね。いづれにせよ、早く気がついて良かったです。
娘は図鑑が大好きで、隅から隅まで読んでしまいます。又、興味を持った事に関しては何でも覚えてしまうので、知識量だけは幼児とは思えない程です。私としては、好きな事を覚えてしまっている分には害にならないだろう、と、思って好きなようにさせていました(但し、例えば恐竜に興味を持つと、展覧会に連れて行ったり、恐竜のお話を娘と考えたり、といった、幅が広がる様な事は意識してやっていましたが)。今、覚えこんだ事は興味がなくなればすぐに忘れてしまうだろうが、それはそれで構わない、この年では稀少動植物の名前を覚えるのもポケモンの名前を覚えるのも同じだ、という感覚が私にありましたから。ところが、外野は違いました。娘が図鑑で覚えた知識を披露すると、周りの母親の顔色が変わります。中には自分の子供に向かって「○○ちゃんがすごく大事な事を言ってくれている。しっかり聞いて覚えなさい。」と言ったお母さんもいました。子供といえども、お世辞でほめてもらっているのかそうでないかは分りますから、今度は娘の方が得意になって図鑑の暗記に励みだしました。明らかに娘が頭でっかちになり始めています。又、この程度の事で娘が天狗になりはしないか、と、それも不安です。娘の動機が純粋でなくなりつつある今、図鑑を取り上げたり、読む時間を制限すべきか、と、迷っています。
●好きなことを取り上げる必要はありません。ただし、知識は単なる知識であってそれだけのことである。つまり、「暗記に価値はない」ことを親が折に触れて伝えればいいだけです。図鑑好きな子は沢山います。そのうちに飽きます。図鑑を全部覚えた子供はいません。できてもしませんからご心配なく。
●問題は時間です。9才までの貴重な時間を考えない学習に使うことが危険だからということです。脳の機能発達(永久脳の完成)に無限の猶予期間があればいくら暗記に時間を使っても構わないのですが、制限時間があるから注意が必要なんです。思考の臨界期で乳脳と永久脳の働きの違いを書きました。そして、幼児・児童期の優れた記憶力は暗記のためのものではなく思考モデル作成のための力であり思考モデル作成時期が過ぎれば消え去ることも書きました。この辺を気にしながら子育てを楽しんで下さい。
……………………………………………………………………………………………
●5時間を図鑑暗記に使った子供と同じ5時間を主体的な遊びに使った子供では思考モデルの数は全く異なるということです。前者は知識は増えますが思考モデルはゼロです。後者は知識はゼロ(多少は増える場合もある)ですが思考モデルは数え切れません。
→だから、「楽しさ」が無い場合の「暗記」は貴重な時間の無駄遣いになってしまうのです。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
------------------------------------------------------------------------
[1495] ゆきまま 投稿日:2005/08/18(Thu) 08:43  [関東]こんにちわ。まだまだ暑いですね。娘がすっかりどんぐり病にかかってしまいました。私も先生の文章題を読んでいると、吹き出しそうなときがあります。(かわいいやら楽しいやらで・・)どうしてこんな楽しい文章題がつくれるのかと感心してしまいます。有難うございます(*^_^*)
●小学校の時に表現練習(大人に合わせた表現方法の練習)をしていないからです。
……………………………………………………………………………………………
●今、小学校で行われている表現力養成(本当の表現力養成ではありません)は実に危険な学習方法です。感覚を鈍らせ、自分を限定し、感情を麻痺させ、相手に気に入るように自分の表現を制限する練習ですからね。これも「できる評価」の弊害です。
※「できる評価」は「できる学習」を導きます。ところが、12才以前の学習で「できる」ことは不要(弊害だらけ)なのですから「不要学習(弊害学習)」をしている事になるんです。評価対象にならないことを評価対象にしていることが現行の小学校の致命的な欠点です。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
------------------------------------------------------------------------
[1494] あっちゃん 投稿日:2005/08/17(Wed) 11:14  [関東]どんぐり先生、お忙しいところ、早々に、ご丁寧な回答、ありがとうございました。確かに、物語をプロットを追って読んでいく場合と、論理的な文章を精読する場合に必要な力は異なりますね。自分の身に置き換えても、よく理解できます。
ただ、娘の場合、違う問題があるような気がします。例えば、昨日例に出した「きのうまでに3こ」という用法ですが、普段の生活で、彼女は「お母さん、明日までに靴を洗ってね。」なんて、普通に使っています。それが文章題として目にした途端に「意味が分らない」となるのは、日常生活ではそこそこ使える言葉であっても、曖昧にしか理解できていなかった、と取るべきか、それとも「言葉の意味を考えるのが面倒だからお母さん教えて」という意味なのか、いつも迷っています。このような場合にも、意味を教えたり、意味が分るようにこちらから誘導するのが良いのでしょうか?
●「精読→絵図」が面倒なのではないでしょうか。実はこの「面倒」が癖になり複雑なものを対象にしたときに能力(できない)になります。
※今の時期に修正しないと恐らく、一般的にいわれる「文系の頭」になります。半分は好みの問題ですので、強制することはないでしょうが、修正には数年かかると考えて取り組んで下さい。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
------------------------------------------------------------------------
[1493] あっちゃん 投稿日:2005/08/16(Tue) 19:01  [関東]お世話になります。年長の娘がおります。8月に入り、ようやく本腰を入れてどんぐりの問題を開始した我が家です。しかし、問題が発生。問題文にある言葉の意味を正確に取れていない場合が多い事が判りました。例えば、〈OMX08〉で、「きのうまでに3かい」とあったのが、何の事やら分っていませんでした。この様な場合、ただ、「書いてある通りに絵に描け」といっても仕方がない、と、母は判断して、意味を理解できるように助け舟を出してしまいますが、それってヒントを与える事と紙一重なのかな、と、いつも迷います。どこまで手を出すべきなんでしょうか?それとも、分らない言葉も含めて、見守るべきなんでしょうか?
ちなみに、本はよく読む子です。自分で読む(黙読でものすごい速さで読みます)のも、読んでもらうのも大好きです。物語の本など、後から内容を話してくれる事があって、それを聞いている限りでは、読解力はある方だと思っていました。
●国語と算数の読解力の差についてはコメント済みです。同じ力(視考力)を使いますが精度が違うんです。国語の精度は実に曖昧です。算数は緻密な細密画です。
●12才以前に速く読むことに(読めること)にメリットはありません。デメリットは致命的です。細密再現できなくなります。流れがないので嫌になるんです。「映画は楽しめるが絵画は楽しめない」ということです。将来的には「算数的読解力→国語的読解力」は容易ですが逆は困難です。だから、国語の読解力養成も「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」を使うんです。
※思考の臨界期は読みましたか?
▼「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」が
 国語力(読解力)も養成できる理由は、
 シーン展開を
 含んでいるからです。
 算数と国語の違いは
 1シーンの細部描写(再現)か
 多数シーンの曖昧描写(再現)かの違いです。
 算数も国語も本質的には、
 視覚イメージ再現
 という点においては
 全く同じなのです。
 違いは細部描写には
 根気と緻密さが必要ですし、
 複数シーンの流れをつかむには
 大まかな理解(再現)で
 数多くのシーン理解(再現)をする、
 あるいは完全に理解しなくても
 次に行く大雑把さ(拘りすぎないこと)が
 必要になるということなのです。
 ここで大事なことは
 精細(緻密なこと)から
 大雑把になることは
 比較的に簡単ですが、
 逆は難しいということです。
 整理整頓を出来る人が
 乱雑にするのは簡単ですが、
 日頃から乱雑にしている人が
 整理整頓するのは難
 しいということです。
「どんぐり倶楽部」の
「良質の算数文章問題」は
 算数の文章問題ですから
 緻密さを要求されます。
 しかもかなり高度な緻密さです。
 
 さらに、ストーリー性を
 加えてありますから
 解きながらの
 遊びがあります。
 実は、
 この遊びが
 国語の複数シーンの把握
 につながるのです。
 算数の文章問題が
 楽しくなければいけないのは
「飽きないように」ではなく、
 国語力もつけるために
 必要だからなのです。
 ですから、
「どんぐり倶楽部」の
「良質の算数文章問題」は
 これだけで
 国語力も算数力も付くのです。
 プラトンが創立した
 哲学学校の門に
「幾何学を解さざる者入るべからず」
 と刻んだのは
「哲学には精緻な思考が必要である」
 ということです。
 計算とは全く関係ないのです。
 また、曖昧な流れの方が
 日常的であるが故に
 訓練が必要なのは
 緻密な描写の方なのです。
 映画を楽しめない人はいませんが
 絵画を楽しめない人は多いのも
 このことが原因です。
 楽しい「どんぐり倶楽部」の
「良質の算数文章問題」という
 中間形(プラットホーム)を
 知っていると
 修飾の少ない数学にも
 修飾の多い文学にも
 どちらにも簡単に移行することが
 出来るようになります。
 さらに、
 独創的な考えも
 ヒラメキでさえも
 養成することが
 出来ます。
 なぜなら、
 これらは全て
 視覚イメージの操作から
 生まれるものだからです。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]