2012年10月31日水曜日

●裏切らない学習方法


その学習で定められた方法を、
真面目に守って、
学習すればするだけ「考えられない頭」になってしまうのでは、
余りにも子供が可哀想です。
その学習方法で、「一例でも」そういうことがあるのであれば、
その学習方法には、
欠陥があるということです。
「時々聞く程度」もあるのなら、
それは、非常に危険だということであり、
「よく聞く」のなら、
それは、異常な学習方法だということです。
推薦してある、無理のないやり方を真面目に守れば、
必ず「思考力養成」ができる、
そういう学習方法を選ぶべきではないでしょうか。
しかも、何人育てても、12年間で12000円もかからない方法で。
本来、人間は考えることが楽しく生まれついているのですから、
特別なことではないんです。
ただ、その理論を知らないと、余計なことをさせることも現実です。
要注意ですね。

幼児・児童期に、していいこと、すべきことは、豊かな原形体験の蓄積しかない。
他の表面的な「できる」を求めて何かをさせている時間などは、一切ないと考えた方がいい。
この豊かな原形体験の蓄積こそが、読解力、理解力、思考力、想像力、判断力、類推力、抱擁力、等々あらゆる力の源となる。
この源を育てずに、表面的な偽物の力だけを、つけようとすると、非常にお粗末な「猿真似力」が育つだけになってしまう。
そこにはオリジナルは何もないので、真似は出来ても応用が全く利かないので、使いものにならないものを身につけてしまうということである。
時間とお金と労力を使って、使いものにならない自分を育ててしまっては、ー生の不覚というものである。

何も難しいことではない。
普通に素直に見れば見える。
何をすべきか、すべきではないか。

何でも「できる」方がいいなんてのは、何も考えずに目の前の食べ物をを食べ続けているだけのようなもので、「生きている」とさえも言えない。

分からなかったり、考えたことがなかったのなら、一度、キチンと立ち止まって自分の足元をシッカリ固めて、ジックリと回りを見てみようじゃないか。そうすれば、誰にでも見えてくるものがある。

●以下は、体の制御(スポーツや学器の演奏練習)に関することではなく、思考(頭)に関する点における注意項目(幼児児童期に、すべきでないこと)である。

・時間の編集が人為的に加わっているもの。
※TVゲーム、かけ流し、テレビなど(自然の時間の流れを操作しているもの)
・高速を要求し、それを評値するもの。
※高速計算など
・大量を要求し、それを評価するもの。
※大量暗記など
・反復を要求し、それを評値するもの。
※反復プリント学習

また、教科書準拠テキストを家庭で使うことは全く意味がない。

学校でできないことを家庭でしなければ、調整作用さえも働かないのだから、チャンスさえも手にすることができないことになる。

させればいい。できればいい。という考えは、現代では全く通じない。

昔は、理論的思考は勉強で育て、他は全て生活の中(特に、毎日の自然を相手にした遊び)で育てることができた。

しかし現代では、それができる環境ではないのだから、勉強はスパルタでもいいという時代ではなくなっているということなのだ。

ここに気付かずに、「昔はスパルタでうまくいったのだから」は、全く通じないということである。