🔴E means Education 🔴
現代では、健全な教育の中心に、現代の教育環境をよく理解した上での、現代特有のマイナス学習に対する対応策や回避策を含む予防教育を据えることが重要である。
このことを承知しておかなければ、教育環境の悪化に気付かずに時代に流され、善かれと思ってしたことがマイナス学習になりかねない状況となっている。
現代(2000年代)ほど、様々な教育情報を、環境の影響による変化に対応させて(調整して)正確に理解し、学習の制御をしなければならない時代はない。
主な原因は、スピード生活と、(仕組みの)見えない化と携帯電子ゲーム(遊びの貧弱化)という、主体的に動くチャンスを奪われている生活環境と教育環境だと考えられる。
日常生活の中で、目に見えるカラクリ(複雑な仕組みを目にする機会)から、思考回路を導き出すチャンスがなくなり、自然を感じ、味わうことを軽視して、思考の原形回路を作るチャンスを逃している。
今までなら、偶然だったり、否応なくだったり、放任された結果だったりが、偶然にも何かを深く感じ、味わい、考えるチャンスを作っていた。
ところが、今は、その偶然(の思考回路養成のチャンス)にさえもめぐり合うことは難しい。
環境が変わりすぎたために起こっている、かつての無害学習の有害化は、現代のアキレス健となっている。そして、その学習が「宿題」という呼び名の場合には、対処法に一考を要する。
学校は、最も身近にある、使うべきものであり、対立するべきものではない。
ましてや、戦いの相手などではない。
当たり前である。
学校とは、学び舎なのだから。
が、しかし、時として、身近にあるが故に、子供に最大の影響を及ぼすという点において、最大の危険因子となる。
この点は、常に覚悟しておかなければいけない。
「いい先生だから」「お世話になっているから」では、済まされない場合もあるということだ。
最終的には、自分の子供は自分で守る。
他の誰でもなく、自分が守る。
これは、子育ての鉄則である。
親は、子供を保護するものであるが故に、保護者と呼ばれるのだ。
12才までは、子供は、親に保護されなければならないのである。
イジメによる自殺が続いている。
「いい先生だから」「お世話になっているから」で、済ますことができる親がいるとは思えない。
学校教育で潰される子供も同じである。
親が気付かずに、誰が気付くというのだろうか。
それは、非常に危険な思い違いである。
いつの時代も、表面的に頭を良くすること(成績UP)は、簡単だった。
手法は1つだったからだ。
パターン学習である。
今でもそれは変わらない。
全く進化していないのだ。
シーラカンス教育とでも呼びたくなる。
学校をキチンと整理学習の場として使うことができるように生活環境を整備し、準備学習ができるようにすることと、整理学習の量が子供に合わずに破壊学習にならないように監視して、子供にジャストフィツトするように調整する必要がある。